今野 勉+松井 茂+飯田 豊
「いま、テレビになにが可能か ―その草創期から問いなおす」
飯田豊は今年、『テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学』(青弓社)を刊行しました。本書は、かつて実用化を目指して開発が進められていたテレビジョン技術が、戦前の博覧会や展覧会での公開実験、あるいは戦時下の実験放送などを通じて、繰り返し一般に公開されていたという事実に光を当てています。われわれが慣れ親しんできた「テレビ」のあり方を前提として、その歴史をさかのぼって捉えるのではなく、かつて「テレビジョン」という技術に開かれていた可能性の系譜を描こうとしました。映像端末が急速に多様化し、日常生活のいたるところにスクリーンが遍在している現在、テレビのあり方が急速に拡散していく中で、逆に、いくつもの「テレビジョン」がひとつの「テレビ」に収斂していった過程をたどることが、広い歴史的構図のもとでテレビの将来を展望する手掛かりになるのではないかという問題意識にもとづいています。
この試みが成功しているかどうかはともかく、先行きが不透明なテレビのあり方を再考するために、その草創期を根源的に問いなおすことが、ますます重要になっていることは間違いありません。そこでこの研究会では、半世紀以上にわたってテレビ・ディレクターとして活躍していらっしゃる今野勉さん(テレビマンユニオン)と、戦後日本のマスメディアと現代芸術との関係性について鋭い考察を続けている松井茂さん(IAMAS)のお二人をゲストにお迎えし、テレビ史研究の現代的意義と今後の課題について語り合います。参加者の皆さんと一緒に、じっくりとお話ししたいと考えていますので、ぜひふるってご参加ください。
日時:
12月17日(土)15時~17時30分
会場:
成蹊大学サテライト・オフィス(東京都千代田区丸の内3-1-1 国際ビル1階)
登壇者:
今野 勉(テレビマンユニオン)
松井 茂(情報科学芸術大学院大学 [IAMAS] )
飯田 豊(立命館大学)
司会:
伊藤昌亮(成蹊大学)
参加費:
無料
事前申込:
座席に限りがありますので、事前申込制とさせていただきます。
magnet2016@iida-lab.orgまで、お名前とご所属をご記入の上、
お申込ください。
お問い合わせもこちらのメールアドレスにお願いします。
定員に達し次第、申込を締め切らせていただきますので、
あらかじめご了承ください。
主催:
MAGNET(Media, Action, Glocal Network)
2016年11月25日金曜日
2016年11月13日日曜日
【ライブイベント】11/28(月)『テレビと講談 ―旭堂南陽、最後のテレビ出演』(於:CEKAI)
11月28日(月)の夜、ラジオ・アーティストの毛原大樹さんの企画・演出で、下記のイベントをおこないます。ぜひご来場ください。詳細はこちら。
新奇なお茶の間世界『テレビと講談』
── 講談師 旭堂南陽、最後のテレビ出演 ──
出演:旭堂南陽(第一部)、玉田玉秀斎(第二部)
演目:難波戦記 ―荒大名の茶の湯―
難波戦記 ―徳川家康の最期―
テレビ講談(仮)
アフタートーク:玉田玉秀斎、飯田豊
企画・演出:毛原大樹
・日時:2016年11月28日(月)18:00スタート(開場17:30)
・会場:CEKAI(世界株式会社)京都市上京区真如堂前町104番地
・参加費:無料
・主催:毛原大樹(テレフォノビジョン)
・共催:立命館大学産業社会学部・企画研究「テレビメディアの新展開」
・協力:CEKAI(世界株式会社)
【イベント概要】
2011年、東京タワーがアナログ放送用電波を停波した瞬間から始まった、独立系自律マイクロ・テレビ放送プロジェクト『最後のテレビ』。アナログテレビを新しいメディアとして捉えて活動してきたこのプロジェクトは、これまでに横浜トリエンナーレの会場をはじめとする様々な場所で、来場者を巻き込みながら生放送イベントを行ってきました。
そして今回は、伝統的な町屋空間が広がる『世界』から、新型マイクロ・テレビシステム『Telephonovision』を使った、全くもって新奇なお茶の間世界をつくりだします。微弱電波が届く範囲に限ったコミュニティ形成の実践現場として、現在のデジタルテレビ以降失われつつある本来のテレビ視聴の楽しみ、懐かしさ、新しさを同時に伝える稀なメディアをぜひ体験してください。
会場のテレビ受像機が映し出すのは、四代目 玉田玉秀斎 を襲名する、講談師 旭堂南陽の“最後”の姿です。演目は本イベントために書き下ろされた『テレビ講談(仮)』をはじめとする、難波戦記から「荒大名の茶の湯」「徳川家康の最期」をお送りします。
放送終了後は、立命館大学准教授で『テレビが見世物だったころ』の著者、飯田豊さんを聞き手に、玉田玉秀斎さんから「講談」について伺います。
ご期待ください。
2016年11月12日土曜日
2016年10月24日月曜日
【シンポジウム】11/12(土)「戦後日本におけるマス・メディア受容と現代芸術の文化学」(於:キャンパスプラザ京都)
11月12日(土)の午後、以下のシンポジウムを開催します。
本シンポジウムは「戦後日本におけるマス・メディア受容と現代芸術の文化学」(科研費)の成果報告を目的としたものです。本研究は、第2次世界大戦後の日本の視覚文化を、マス・メディア(放送文化と出版文化)を分母とした文化現象として捉え、特にテレビ映像が現代芸術の映像表現に与えた影響を文化学的に検証することを目的として2014年度より実施してきました。本シンポジウムでは、同時代の文化を情報化し、インフラストラクチャーで流通する表象のあり方、これを駆動する技術を問い直す隣接領域の研究者と共に、メディア表現研究の新たな地平を拓きたいと考えています。これらの研究は、JSPS科研費26503003、16K17248、15K12841の助成を受けたものです。
日時:
2016年11月12日(土)
場所:
キャンパスプラザ京都第4講義室(定員80名)
事前申込制(こちらのフォームから入力してください)
※定員になり次第、予約受付を終了します。
発表者(登壇順):
松井 茂(IAMAS准教授)
飯田 豊(立命館大学産業社会学部准教授)
川崎 弘二(電子音楽研究)
中西 博之(国立国際美術館主任研究員)
原 久子(大阪電気通信大学総合情報学部教授)
伊村 靖子(IAMAS講師)
赤羽 亨(IAMAS准教授)
研究発表:
13:00〜13:10 松井茂、飯田豊「概要説明」
13:10〜13:40 松井茂「木島則夫ハプニングショー(NTV)について」
13:40〜14:10 飯田豊「メディア・イベント概念の理論的再構築に向けて」
14:10〜14:40 川崎弘二「NHKアーカイブスの利用によるNHK電子音楽スタジオで制作された電子音楽作品の調査」
14:40〜14:50 休憩(10分)
14:50〜15:20 中西博之「TBSの美術番組『アトリエを訪ねて』の高松次郎」
15:20〜15:50 原久子「芸術文化情報に関する発信、受容とその変遷について」
15:50〜16:20 伊村靖子「汎用技術と表現 ―美術において「デザイン=設計」が意味するもの」
16:20〜16:50 赤羽亨「3Dスキャニング技術を用いたインタラクティブアートの時空間アーカイブ」
16:50〜17:00 休憩(10分)
17:00〜18:00 コメント
主催:
「戦後日本におけるマス・メディア受容と現代芸術の文化学」(科研費)
「メディア・イベント概念の理論的再構築
―歴史社会学および比較文化学からのアプローチ」(科研費)
2016年10月10日月曜日
【学会】10/29(土)「メディアとしてのビデオ ―映像の保存・所有をめぐる感覚の歴史と現在」日本マス・コミュニケーション学会(於:帝京大学)
10月29日(土)、帝京大学八王子キャンパスで開催される日本マス・コミュニケーション学会2016年度秋季研究発表会にて、メディア文化研究部会のワークショップ「メディアとしてのビデオ ―映像の保存・所有をめぐる感覚の歴史と現在」に登壇します。
メディアとしてのビデオ
―映像の保存・所有をめぐる感覚の歴史と現在―
司 会 者:溝尻真也(目白大学)
問題提起者:永田大輔(日本学術振興会特別研究員(DC)・筑波大学院生)
討 論 者:飯田 豊(立命館大学)
2016年10月9日日曜日
2016年9月26日月曜日
2016年8月19日金曜日
【シンポジウム】8/20(土)「デジタル時代における記憶と伝達」(於:神戸・C.A.P. 芸術と計画会議)
第3回新視覚芸術研究会 公開シンポジウム
日時:2016年8月20日(土)13時〜17時30分
場所:C.A.P. 芸術と計画会議(海外移住と文化の交流センター)
(〒650-0003 神戸市中央区山本通3丁目19番8号)
テーマ:「デジタル時代における記憶と伝達」
谷口暁彦(作家・多摩美術大学)
水野勝仁(甲南女子大学)
飯田 豊(立命館大学)
馬場伸彦(甲南女子大学)
スマートフォンを携帯するようになってから私たちはやたらと写真を撮り始めた。写真を撮ることがこれほどまで常態化した時代はない。なぜ私たちは取るに足らない写真を撮り、SNSにアップロードするのか。
過ぎ去った時間は不可逆であるゆえ、取り戻すことも保存するもできない。写真は過去そのものではなく、過去の写しを光学的に記録するものだ。しかしこの忠実な記録性はしばしば記憶との混同を招いた。だから写真は失われた時をふたたび蘇らせる錬金術のように感じられるのだ。
忘れたくない思い出の瞬間はスマートフォンのメモリ媒体のなかに、あるいはSNSのサーバーのなかにアーカイヴ化されて蓄積されている。デジタル情報となった光の痕跡は、ディスプレイに呼び出されて再現される時、オリジナルと寸分違わぬ画像となって現れる。「淡い記憶」とか「薄らいだ記憶」などといった比喩はもはや意味をなさないのかもしれない。「デジタル・イメージは、現実の記号というよりも記号の記号である。それはすでに一連の再現=表象であると認識されていたものの再現=表象なのである」とジェフリー・バッチェンがいうように、デジタル・イメージの起源は現実にあるのではなく、今やコンピューターのなかにある。であれば、記憶を想起する身体と主体性はどこに置かれるのだろうか。クラウド化によるデジタル・アーカイヴだけが記憶の貯蔵庫となるのだろうか。個人が見た記憶が集団的に見られるという現在、アーカイヴは記憶の貯蔵庫ではなく、記憶を忘却させる場所となったのではないか。デジタル時代における記憶のあり方と伝達の行方を考えたい。
※入場無料・事前予約不要
主催:新視覚芸術研究会/テクノ表象研究会
協力:六甲山国際写真フェスティバル
2016年7月26日火曜日
『テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学』関連情報まとめ
メディア掲載:
講演、トークイベントなど:
- 『読売新聞』5月13日大阪夕刊「戦前のテレビ人気再考 ―立命館大准教授が刊行」(インタビュー)
- 共同通信 5月19日配信「人びとの苦労掘り起こす」(評者=澤田隆治氏)=『秋田魁新報』『山形新聞』『福島民報』『神奈川新聞』『下野新聞』『山梨日日新聞』『北日本新聞』『富山新聞』『北国新聞』『京都新聞』『神戸新聞』『中国新聞』『徳島新聞』『高知新聞』『愛媛新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『琉球新報』『沖縄タイムス』など
- 『図書新聞』7月16日号「メディアをめぐる混沌、および混沌が持つ可能性 ―テレビの起源を、街頭テレビが登場する以前の一九三〇年代にまで遡ってとらえる」(評者=溝尻真也氏)
- 『週刊読書人』7月22日号「2016年上半期の収穫から ―44人へのアンケート」(評者=植村八潮氏)
講演、トークイベントなど:
- 4月26日(火)講演「テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学」立命館大学ライスボールセミナー(於:立命館大学衣笠キャンパス創思館カンファレンスルーム)
- 5月29日(日)佐藤 守弘×大澤 聡×飯田 豊「メディアの近代を逆なでに読む ― 『テレビが見世物だったころ』刊行記念トークイベント」(於:京都・MEDIA SHOP)
- 6月12日(土)『テレビが見世物だったころ』書評会(評者=長谷正人氏)(於:早稲田大学戸山キャンパス)
- 7月15日(金)講演「テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学」(於:NHK放送文化研究所)
2016年5月24日火曜日
【トークイベント】5/29(日)佐藤守弘×大澤 聡×飯田 豊「メディアの近代を逆なでに読む ―『テレビが見世物だったころ』刊行記念」(於:京都MEDIA SHOP)
テレビ離れが叫ばれる一方で、スマホやパソコンから屋外に遍在するスクリーンまで、多様な形式で映像コンテンツは受容されています。ニコニコ生放送やパブリック・ビューイングなどの集団的な映像視聴は「戦後の街頭テレビ」の熱狂に例えられ、新しい映像文化はテレビ放送の原点に回帰しているとも言われます。
しかし、都市でテレビにふれるという経験は、戦前からテレビジョンの公開実験として人々の日常にありました。飯田豊さんは本書『テレビが見世物だったころ』で、「戦後・街頭テレビ・力道山」という放送史の神話によって忘却されたテレビジョンの近代を史料から掘り起こし、丹念に跡づけています。
本書の関心は「過去」にあるのではなく、テレビジョンの近代から「もう一つの/ありえたメディアの歴史」をつむぎ、それを現代に提示することにあります。私たちは、本書からどのような論点を読み取り、引き受けることができるでしょうか。また、テレビというメディアや、それを含むスクリーン文化をどのようなものとして考えていけるでしょうか。
そこで本トークイベントでは、飯田さんに本書を概説していただいたうえで、『トポグラフィの日本近代』で写真・絵画の近代を論じた佐藤守弘さんと、『批評メディア論』で論壇・批評のありようを分析した大澤聡さんという、異なる専門ジャンルのお二人に本書の射程を語っていただきます。
素朴な疑問点なども含めて議論しながら、ゆったりとトークを進めたいと考えています。お気軽にご参加ください。
□ 登壇者 □
佐藤守弘(さとう・もりひろ)
京都精華大学デザイン学部教授。専攻は芸術学、写真史、視覚文化論。著書に『トポグラフィの日本近代』、共訳書にジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』(ともに青弓社)、共著に『記憶の遠近術』(芸術新聞社)など
大澤 聡(おおさわ・さとし)
批評家。近畿大学文芸学部准教授。専攻はメディア史、文学。著書に『批評メディア論』(岩波書店)、共著に『1980年代』(河出書房新社)、『日本の論壇雑誌』(創元社)など。『kotoba』(集英社)夏号より対談連載を開始
飯田 豊(いいだ・ゆたか)
立命館大学産業社会学部准教授。専攻はメディア論、メディア技術史、文化社会学。編著に『メディア技術史』(北樹出版)、共著に『メディア・リテラシーの諸相』(ミネルヴァ書房)、『ヤンキー人類学』(フィルムアート社)など
[イベント日時・場所など]
日時:5月29日(日)15:00スタート(14:30開場)
場所:MEDIA SHOP
京都市中京区河原町三条下る一筋目東入る大黒町44 VOXビル1F
ご予約:事前にメディアショップ(mediashop★media-shop.co.jp ★→@に/075-255-0783)にお申し込みをお願いします。なお、当日参加も受け付けますので、お気軽にお越しください。
料金:500円
2016年5月14日土曜日
【インタビュー】「戦前のテレビ人気 再考 ―立命館大准教授が刊行」(『読売新聞』2016年5月13日大阪夕刊)
5月13日(金)『読売新聞』大阪夕刊のテレビ面で、拙著『テレビが見世物だったころ』をご紹介いただきました。カラー写真入りでとても大きく取り上げてくださっていて、たいへんありがたいです。
2016年5月7日土曜日
【共著】『メディア・リテラシーの諸相 ―表象・システム・ジャーナリズム』(ミネルヴァ書房、2016年)
告知がすっかり遅れてしまいましたが、浪田陽子・柳澤伸司・福間良明編『メディア・リテラシーの諸相 ―表象・システム・ジャーナリズム』(ミネルヴァ書房、2016年)が刊行されました。「立命館大学産業社会学部創設50周年記念学術叢書」の一冊で、メディア社会専攻に所属している教員が寄稿しています。僕は「送り手のメディア・リテラシー ―2000年代の到達点、10年代の課題と展望」という論文を書きました。
2016年4月3日日曜日
【著書】『テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学』(青弓社、2016年)
初めての単著を出版しました。お買い求めいただければ幸いです。
版元では関連イベントなども企画していただいていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
テレビ離れが叫ばれる一方で、スマホやパソコンから屋外に遍在するスクリーンまで、多様な形式で映像コンテンツは受容されている。ニコニコ生放送やパブリック・ビューイングなどの集団的な映像視聴は「戦後の街頭テレビ」の熱狂に例えられ、新しい映像文化はテレビ放送の原点に回帰しているとも言われる。
しかし、都市でテレビにふれるという経験は、戦前からテレビジョンの公開実験というかたちで人々の日常にあった――。
戦前のテレビジョン技術に対するアマチュアの熱狂、博覧会や展覧会での展示とその人気、逓信省のテレビジョン電話への欲望、幻の東京オリンピックと国策宣伝も含んだ実験放送……。「ラジオの時代」「映画の時代」とイメージされがちな戦前・戦中の日本で、アマチュア・興行師・技術者・政治家などの多様なアクターがテレビジョンという技術に魅了され、社会的な承認を獲得しようとしながら技術革新を目指していた事実を掘り起こす。
「戦後・街頭テレビ・力道山」という放送史の神話によって忘却されたテレビジョンの近代を丹念に跡づける技術社会史。
2016年3月5日土曜日
【エッセイ】「2020年の「街頭テレビ」を想像する」CHITEN x KAAT特設サイト
地点が京都と横浜で上演する『スポーツ劇』(エルフリーデ・イェリネク作)に寄せて、CHITEN × KAAT特設サイトに「2020年の「街頭テレビ」を想像する」という小論(リレーエッセイ)を書きました。
PDF版はこちら。三輪眞弘さん、吉岡洋さん、椹木野衣さんのエッセイが既に公開されています。
2016年2月10日水曜日
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