第3回新視覚芸術研究会 公開シンポジウム
日時:2016年8月20日(土)13時〜17時30分
場所:C.A.P. 芸術と計画会議(海外移住と文化の交流センター)
(〒650-0003 神戸市中央区山本通3丁目19番8号)
テーマ:「デジタル時代における記憶と伝達」
谷口暁彦(作家・多摩美術大学)
水野勝仁(甲南女子大学)
飯田 豊(立命館大学)
馬場伸彦(甲南女子大学)
スマートフォンを携帯するようになってから私たちはやたらと写真を撮り始めた。写真を撮ることがこれほどまで常態化した時代はない。なぜ私たちは取るに足らない写真を撮り、SNSにアップロードするのか。
過ぎ去った時間は不可逆であるゆえ、取り戻すことも保存するもできない。写真は過去そのものではなく、過去の写しを光学的に記録するものだ。しかしこの忠実な記録性はしばしば記憶との混同を招いた。だから写真は失われた時をふたたび蘇らせる錬金術のように感じられるのだ。
忘れたくない思い出の瞬間はスマートフォンのメモリ媒体のなかに、あるいはSNSのサーバーのなかにアーカイヴ化されて蓄積されている。デジタル情報となった光の痕跡は、ディスプレイに呼び出されて再現される時、オリジナルと寸分違わぬ画像となって現れる。「淡い記憶」とか「薄らいだ記憶」などといった比喩はもはや意味をなさないのかもしれない。「デジタル・イメージは、現実の記号というよりも記号の記号である。それはすでに一連の再現=表象であると認識されていたものの再現=表象なのである」とジェフリー・バッチェンがいうように、デジタル・イメージの起源は現実にあるのではなく、今やコンピューターのなかにある。であれば、記憶を想起する身体と主体性はどこに置かれるのだろうか。クラウド化によるデジタル・アーカイヴだけが記憶の貯蔵庫となるのだろうか。個人が見た記憶が集団的に見られるという現在、アーカイヴは記憶の貯蔵庫ではなく、記憶を忘却させる場所となったのではないか。デジタル時代における記憶のあり方と伝達の行方を考えたい。
※入場無料・事前予約不要
主催:新視覚芸術研究会/テクノ表象研究会
協力:六甲山国際写真フェスティバル
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