2016年10月10日月曜日

【学会】10/29(土)「メディアとしてのビデオ ―映像の保存・所有をめぐる感覚の歴史と現在」日本マス・コミュニケーション学会(於:帝京大学)

10月29日(土)、帝京大学八王子キャンパスで開催される日本マス・コミュニケーション学会2016年度秋季研究発表会にて、メディア文化研究部会のワークショップ「メディアとしてのビデオ ―映像の保存・所有をめぐる感覚の歴史と現在」に登壇します。

メディアとしてのビデオ 
―映像の保存・所有をめぐる感覚の歴史と現在― 
司 会 者:溝尻真也(目白大学) 
問題提起者:永田大輔(日本学術振興会特別研究員(DC)・筑波大学院生) 
討 論 者:飯田 豊(立命館大学)

 

2016年9月26日月曜日

【ティーチイン上映会】10/20(木)是枝裕和監督『海よりもまだ深く』(於:立命館大学衣笠キャンパス)



10/20(木)『海よりもまだ深く』是枝裕和監督ティーチイン上映会(於:立命館大学衣笠キャンパス)で司会を務めます。詳細はこちら

特に学生のみなさん、ふるってご参加ください。事前申込みが必要です。


 

2016年8月19日金曜日

【シンポジウム】8/20(土)「デジタル時代における記憶と伝達」(於:神戸・C.A.P. 芸術と計画会議)


第3回新視覚芸術研究会 公開シンポジウム

日時:2016年8月20日(土)13時〜17時30分

場所:C.A.P. 芸術と計画会議(海外移住と文化の交流センター)
    (〒650-0003 神戸市中央区山本通3丁目19番8号)

テーマ:「デジタル時代における記憶と伝達」

  谷口暁彦(作家・多摩美術大学)
  水野勝仁(甲南女子大学)
  飯田 豊(立命館大学)
  馬場伸彦(甲南女子大学)

スマートフォンを携帯するようになってから私たちはやたらと写真を撮り始めた。写真を撮ることがこれほどまで常態化した時代はない。なぜ私たちは取るに足らない写真を撮り、SNSにアップロードするのか。

過ぎ去った時間は不可逆であるゆえ、取り戻すことも保存するもできない。写真は過去そのものではなく、過去の写しを光学的に記録するものだ。しかしこの忠実な記録性はしばしば記憶との混同を招いた。だから写真は失われた時をふたたび蘇らせる錬金術のように感じられるのだ。

忘れたくない思い出の瞬間はスマートフォンのメモリ媒体のなかに、あるいはSNSのサーバーのなかにアーカイヴ化されて蓄積されている。デジタル情報となった光の痕跡は、ディスプレイに呼び出されて再現される時、オリジナルと寸分違わぬ画像となって現れる。「淡い記憶」とか「薄らいだ記憶」などといった比喩はもはや意味をなさないのかもしれない。「デジタル・イメージは、現実の記号というよりも記号の記号である。それはすでに一連の再現=表象であると認識されていたものの再現=表象なのである」とジェフリー・バッチェンがいうように、デジタル・イメージの起源は現実にあるのではなく、今やコンピューターのなかにある。であれば、記憶を想起する身体と主体性はどこに置かれるのだろうか。クラウド化によるデジタル・アーカイヴだけが記憶の貯蔵庫となるのだろうか。個人が見た記憶が集団的に見られるという現在、アーカイヴは記憶の貯蔵庫ではなく、記憶を忘却させる場所となったのではないか。デジタル時代における記憶のあり方と伝達の行方を考えたい。

※入場無料・事前予約不要

主催:新視覚芸術研究会/テクノ表象研究会
協力:六甲山国際写真フェスティバル

【ラジオ出演】8/17(水)RCC(中国放送)ラジオ「おひるーな」に出演


8月17日(水)、RCCラジオの「おひるーな」という番組に出演しました。「ポケモンGO」の狂騒が一段落した今、この1ヶ月の経過を振り返りました。

2016年7月26日火曜日

『テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学』関連情報まとめ

メディア掲載:


  • 『読売新聞』5月13日大阪夕刊「戦前のテレビ人気再考 ―立命館大准教授が刊行」(インタビュー)
  • 共同通信 5月19日配信「人びとの苦労掘り起こす」(評者=澤田隆治氏)=『秋田魁新報』『山形新聞』『福島民報』『神奈川新聞』『下野新聞』『山梨日日新聞』『北日本新聞』『富山新聞』『北国新聞』『京都新聞』『神戸新聞』『中国新聞』『徳島新聞』『高知新聞』『愛媛新聞』『宮崎日日新聞』『熊本日日新聞』『琉球新報』『沖縄タイムス』など
  • 『図書新聞』7月16日号「メディアをめぐる混沌、および混沌が持つ可能性 ―テレビの起源を、街頭テレビが登場する以前の一九三〇年代にまで遡ってとらえる」(評者=溝尻真也氏)
  • 『週刊読書人』7月22日号「2016年上半期の収穫から ―44人へのアンケート」(評者=植村八潮氏)


講演、トークイベントなど:


  • 4月26日(火)講演「テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学」立命館大学ライスボールセミナー(於:立命館大学衣笠キャンパス創思館カンファレンスルーム)
  • 5月29日(日)佐藤 守弘×大澤 聡×飯田 豊「メディアの近代を逆なでに読む ― 『テレビが見世物だったころ』刊行記念トークイベント」(於:京都・MEDIA SHOP)
  • 6月12日(土)『テレビが見世物だったころ』書評会(評者=長谷正人氏)(於:早稲田大学戸山キャンパス)
  • 7月15日(金)講演「テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学」(於:NHK放送文化研究所)

2016年5月24日火曜日

【トークイベント】5/29(日)佐藤守弘×大澤 聡×飯田 豊「メディアの近代を逆なでに読む ―『テレビが見世物だったころ』刊行記念」(於:京都MEDIA SHOP)


テレビ離れが叫ばれる一方で、スマホやパソコンから屋外に遍在するスクリーンまで、多様な形式で映像コンテンツは受容されています。ニコニコ生放送やパブリック・ビューイングなどの集団的な映像視聴は「戦後の街頭テレビ」の熱狂に例えられ、新しい映像文化はテレビ放送の原点に回帰しているとも言われます。 
しかし、都市でテレビにふれるという経験は、戦前からテレビジョンの公開実験として人々の日常にありました。飯田豊さんは本書『テレビが見世物だったころ』で、「戦後・街頭テレビ・力道山」という放送史の神話によって忘却されたテレビジョンの近代を史料から掘り起こし、丹念に跡づけています。 
本書の関心は「過去」にあるのではなく、テレビジョンの近代から「もう一つの/ありえたメディアの歴史」をつむぎ、それを現代に提示することにあります。私たちは、本書からどのような論点を読み取り、引き受けることができるでしょうか。また、テレビというメディアや、それを含むスクリーン文化をどのようなものとして考えていけるでしょうか。 
そこで本トークイベントでは、飯田さんに本書を概説していただいたうえで、『トポグラフィの日本近代』で写真・絵画の近代を論じた佐藤守弘さんと、『批評メディア論』で論壇・批評のありようを分析した大澤聡さんという、異なる専門ジャンルのお二人に本書の射程を語っていただきます。 
素朴な疑問点なども含めて議論しながら、ゆったりとトークを進めたいと考えています。お気軽にご参加ください。

□ 登壇者 □

佐藤守弘(さとう・もりひろ)
京都精華大学デザイン学部教授。専攻は芸術学、写真史、視覚文化論。著書に『トポグラフィの日本近代』、共訳書にジェフリー・バッチェン『写真のアルケオロジー』(ともに青弓社)、共著に『記憶の遠近術』(芸術新聞社)など

大澤 聡(おおさわ・さとし)
批評家。近畿大学文芸学部准教授。専攻はメディア史、文学。著書に『批評メディア論』(岩波書店)、共著に『1980年代』(河出書房新社)、『日本の論壇雑誌』(創元社)など。『kotoba』(集英社)夏号より対談連載を開始

飯田 豊(いいだ・ゆたか)
立命館大学産業社会学部准教授。専攻はメディア論、メディア技術史、文化社会学。編著に『メディア技術史』(北樹出版)、共著に『メディア・リテラシーの諸相』(ミネルヴァ書房)、『ヤンキー人類学』(フィルムアート社)など

[イベント日時・場所など]
日時:5月29日(日)15:00スタート(14:30開場)
場所:MEDIA SHOP
   京都市中京区河原町三条下る一筋目東入る大黒町44 VOXビル1F
ご予約:事前にメディアショップ(mediashop★media-shop.co.jp ★→@に/075-255-0783)にお申し込みをお願いします。なお、当日参加も受け付けますので、お気軽にお越しください。
料金:500円


2016年5月14日土曜日

【インタビュー】「戦前のテレビ人気 再考 ―立命館大准教授が刊行」(『読売新聞』2016年5月13日大阪夕刊)

5月13日(金)『読売新聞』大阪夕刊のテレビ面で、拙著『テレビが見世物だったころ』をご紹介いただきました。カラー写真入りでとても大きく取り上げてくださっていて、たいへんありがたいです。


2016年5月7日土曜日

【共著】『メディア・リテラシーの諸相 ―表象・システム・ジャーナリズム』(ミネルヴァ書房、2016年)


告知がすっかり遅れてしまいましたが、浪田陽子・柳澤伸司・福間良明編『メディア・リテラシーの諸相 ―表象・システム・ジャーナリズム』(ミネルヴァ書房、2016年)が刊行されました。「立命館大学産業社会学部創設50周年記念学術叢書」の一冊で、メディア社会専攻に所属している教員が寄稿しています。僕は「送り手のメディア・リテラシー ―2000年代の到達点、10年代の課題と展望」という論文を書きました。


2016年4月3日日曜日

【著書】『テレビが見世物だったころ ―初期テレビジョンの考古学』(青弓社、2016年)


初めての単著を出版しました。お買い求めいただければ幸いです。
版元では関連イベントなども企画していただいていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

テレビ離れが叫ばれる一方で、スマホやパソコンから屋外に遍在するスクリーンまで、多様な形式で映像コンテンツは受容されている。ニコニコ生放送やパブリック・ビューイングなどの集団的な映像視聴は「戦後の街頭テレビ」の熱狂に例えられ、新しい映像文化はテレビ放送の原点に回帰しているとも言われる。 
しかし、都市でテレビにふれるという経験は、戦前からテレビジョンの公開実験というかたちで人々の日常にあった――。 
戦前のテレビジョン技術に対するアマチュアの熱狂、博覧会や展覧会での展示とその人気、逓信省のテレビジョン電話への欲望、幻の東京オリンピックと国策宣伝も含んだ実験放送……。「ラジオの時代」「映画の時代」とイメージされがちな戦前・戦中の日本で、アマチュア・興行師・技術者・政治家などの多様なアクターがテレビジョンという技術に魅了され、社会的な承認を獲得しようとしながら技術革新を目指していた事実を掘り起こす。 
「戦後・街頭テレビ・力道山」という放送史の神話によって忘却されたテレビジョンの近代を丹念に跡づける技術社会史。